相原正明 写真夜話 Ⅻ

この原稿を書いたのが2月22日、ニャンニャンニャン猫の日。コロナになってから外で飼っていた、猫のラッキーさんを家の中で飼うようになった。もともとは、野良ネコさんで地域猫。我が家の庭に18年いる。でもコロナ禍、感染防止のために来客もご遠慮いただいている。なので猫アレルギーのお客さんの心配もしなくてよくなりかつ、ラッキーさんも高齢化してきたのでお家の中で飼うようになった。
そうすると飛躍的に猫さんの写真撮影カット数がUP。コロナでロケに行けないからなおさらだ。そして頻繁にSNSにUP、 いままであまりラッキーさんの写真はSNSにUPしてこなかった。それは意図的にそうしていた。
学生時代、大学が新聞学科。フォトジャーナリズムも勉強した。その中で「子供と動物にはかなわない」ということを習った。それはどんなドキュメンタリーでも風景でもこの2つのテーマで出されたら、読者は食いつく。ある意味、写真のクォリティーは問わない被写体頼みとなる。だから新聞社が「子供と動物」を使うときはほかにニュースがない時。ある意味メディアの負けと言う意味と習った。だから自分もラッキーさん写真をSNSをUPすると、被写体頼みとなり。この人は撮るものないのかな?そう思われたくなくてUPしなかった。

※それぞれの画像にアイコンを合わせると大きい画像が見られます

 だが最近はもう家族なので、1日に数度UPすることもある。まさに親バカ。だから自分のお子さんだったら猫の比ではないと思う。ご両親様が七五三・入学式など、子供さんの写真に大枚をつぎ込むのはとてもよくわかる。
そのおかげでときどき「うちの子をとてもかわいく撮ってください」「モデルさんみたいに撮ってほしいな」とか頼まれる時がある。もちろん撮影はお引き受けする。だがその時、ご両親様もしくはご家族の方にお伝えお願いすることがある。「僕はお母さんよりも上手に撮ることはできます。プロなので。でもお母さんが撮った写真よりかわいく撮ることはできません。なぜなら愛情の度合いが全然違います」
そう写真を最後に作例もしくはお手本から、作品あるいは一生の思いでの1枚にするのには「愛情」がとても大切。これに勝るものはない。お家のペットの写真でも同じ。ワンチャンのオーナーさんよりはかわいく愛らしく撮れない。人様のワンチャンだからだ。

   

実はこのことはとても大切で、ほかのジャンルにも当てはまる。鉄道 飛行機 風景そしてポートレート。不謹慎な発言かもしれないが、フォトグラファーが被写体となった、女優さんあるいはモデルさんと恋に落ちて、場合によっては結婚まで行く場合もある。メディアを騒がせることになる。それはそれぐらい良いところを見つけて、好きになる。愛情を持つ、そうでなければ撮れない写真がある証。そして自分を自分が思う以上に美しくあるいはかっこよく撮ってくれたフォトグラファーに恋してしまう。自然の摂理。僕は今でも趣味で鉄道写真を撮る。そして自分のバイクの写真も撮るし、気になるほかのバイクの写真も撮る。だから他のフォトグラファーが撮った鉄道やバイクの写真を見ると、この人は本当に鉄道やバイクが好きで撮っているのか?あるいは仕事だから、仕方がなく撮っているのか?がすぐわかる。

 
   

残念ながら後者の人は、上手な写真は撮れても、鉄道マニア・バイクマニアをうならせる1枚が撮れない。うちの家内はフランスの建築家ル・コルビュジエの研究のキュレーター。彼は20世紀を代表する建築家で、多くの写真家がル・コルビュジエの建築を撮っている。その中でうなる作品はやはりル・コルビュジエへの愛が強い作品だという。この柱の線がたまらなく好きだぜ、あるいはこのファサードの印影がたまらなく好きだよ。その愛の度合い、ある意味フェチがないと証拠写真あるいは図鑑写真になってしまうと言っている。

   

僕はオーストラリアを撮り33年。他の国にもロケに行ったが、オーストラリアほど素晴らしく撮れない。やはりオーストラリアは相性が良く大好きで、もう1つの祖国。その気持ちが無くなったらオーストラリアでの地球のポートレートは撮れない。あるいはオーストラリアの大地が撮らせてくれない。ぜひ皆さんも自分が撮る被写体に愛情を持ってほしい。そうすれば作例ではなく、名作が撮れるはず。僕もオーストラリアに行けない分、その愛情をため込んで大きく膨らませて、来るべきアフターコロナの撮影再開に備えている。新たな作品をお楽しみに!

2021/2/22 
※文章・写真の無断転用・掲載は禁止です。
文章・写真の著作権はすべて相原正明氏に帰属します